世間的な「ノリがいい」ことと「空気が読める」のは別
ノリが悪い
空気が読めない
陰キャがよく言われがちな言葉TOP3に入るこの言葉。
一緒くたにされがちな言葉ではあるが
その実全く別ものだと思う。
そもそもノリがいいってなんだ?
その場のノリってその場の雰囲気?
ノッてんねー、などとよく使われがちだが
誰かの意見に便乗する、という隠喩だろうか
そうなれば確かに他人の意志に乗っかってんねー、とはなる。
はたまた
その場の雰囲気に乗っかってんねー、とも捉えられる。
他人の意見や他人が作り出した場の雰囲気に肯定的にすることが
ノリがいい、ということだろうか。
例えば、みんなが一気飲みをしてる中で一人しなければノリが悪い、とか
そういうことなのだろうか。
だったらそれはただの
でありノリなどではない。
偉い人が白を黒といえばそれがまかり通り
自由な服装で、と言われればスーツで来るのが当然のことの様に
同調圧力を嫌う人が自ら進んでそれに準じているのだから面白い
では真にノリがいいとはどういうことなのか
それこそが空気を読む、ということである。
どういう事かというと
例えばさっきの一気飲みのシーンで言えば
生ビールを人数分一気に頼みそうなやつがいれば
「ビール苦手な人いるー?」と聞いてみたり
「飲めない人ー?ノンアル?ソフトドリンク?」
こういう気遣いでその場の雰囲気を壊さない人間こそが
ノリがいい、空気が読める人間なのである。
こういうことを言うと
「じゃあ上司とかの時はどうすんだ」とか揚げ足を取る人間がいるが
そんなもんしるか。
そもそもハラスメント問題が横行してる今の世の中で
これくらいのことを気遣えない上司が
空気読めてないし社会の流れに乗れてねーだろ
ノリだの雰囲気だの空気だの
その時の人や状況によって全く違うんだから
それこそ空気を読んで対応するしかない
結局それかよ、と思われてしまうかもしれないが
私の意見も少し聞いてほしい
ノリ悪い、と言われる・思われるくらいの集団とその一回で終われるなら結果オーライじゃないか?と考えないか
そこには自分の居場所はないな、と割り切れるし
なにより疲れることはない
無理をして集団に属することほど苦痛なことはない
最悪一人でもいいじゃないか
空気を読みたいなら努力しろ
嫌なら読むな
一人でいろ
私はそうした
ノリも良くない、空気も読めない
だから私は一人でいる
一人が苦痛なら空気を読むようにしろ
人の顔色を伺え
気にしすぎるほど自分と相手を見る必要がある
そしてようやく空気の読める人間と同じスタートラインに立てる。
所謂陽キャは自然とそういうことをしている
好かれるためにはそういった努力が必要なのだ。