「綺麗事」は人間のメッキである
私は綺麗事を言う人間が嫌いだ。
地球上には様々な人間がいて
多種多様な考え方があり
十人十色で
みんなちがって、みんないい
素晴らしいと思う
だが
綺麗事を吐く人間というやつは
どんな人間だろうが信用できない
というか
嫌いだ
もちろん
一切の綺麗事を言うな!!
ということではない。
綺麗事とは、一種の理想論のようなものであり、理想があるがゆえに物事は始まるのだということは理解しているつもりだ。
理想を追う中で現実に向き合い、その交差の果てに物事がなされていく。
そんなことはわかっているとも。
私が我慢ならないのは
理想論である綺麗事を他人にも求め、汚いものを見ようとせず蓋をし、
あたかも自分の正当性のみを主張する人間が世間でその立場を確立しているという
腹の立つ事実である。
机上の空論を恥ずかしげもなく語り
その論理の正当性を振りかざし
「何か間違ったこと言った?」という態度で接してくる。
かと思いきや
失敗すると
他人のせい、物のせい、状況のせい
自分の言ったこと、やったことは間違ってない!○○が~~だったから失敗したんだ!
頼むから死んでくれ。
・・・
しかしながら
なぜだろう
綺麗事のメッキというのは
非常に美しく輝いて見えるものだ。
人の理想とするものを一時的にとはいえ体現するわけだから
言いようもなく輝いて見える。
でも、だ
メッキをつけなければいけないほど、中身が汚れているので
剥がれた時のギャップに驚かされる。
綺麗なメッキを貼れば貼るほど
いざ剥がれた時に本質が浮き彫りになるのだ。
だから綺麗事で自分の醜さをひた隠しにする人間が嫌いだ。
聖人君子になる必要などない。
人間なんて所詮、人間でしかないのだから。
だから私は汚い本質を見せ続ける。
私という人間になんの期待もしてもらいたくないから。
・・・
などと言っているが
察しのいい人なら気づくだろう。
「なんかごちゃごちゃ書いてるかど、おめーもなんか綺麗事言ってね?」
Exactly(その通りでございます。)
私は汚い本質を汚いメッキで覆い隠しているクズ人間なのだ。
だからモテないんだよ!!