つまんねー人間の生態

自他共に認める無趣味のつまらない人間。無職で引きこもりニート。元ブラック企業戦士。備忘録、兼クソのような手記。

「キモイ」という言葉

吾輩はブサイクである。

 

こんなわかりきったことをいちいち言う必要はないのだが

 

とりあえず言っておく。

 

私はブサイクだ。(再確認

 

30年間もブサイクであったため

「キモイ」という言葉は幾度となく聞いてきたし

今となっては相手の顔を見るだけで

「あ、こいつ今キモイって思ったな」

というのが大体わかる 気がする

 

この「キモイ」という言葉はなぜこんなにも的確にブサイクの心を揺るがすのだろうか。

 

シチュエーションで考えてみよう。

 

道を歩いていて通りすがりに

「キモっ・・w」と言われるのは割とおなじみのパターンだが

 

これが「ブサっ・・w」になると

なんとなく言いづらいし聞き取りづらいし、顔が悪いのはわかりきっているのでそこまでダメージはない。

「知ってんだよこの野郎。何年この顔と付き合ってきたと思ってんだボケ。」

となる。

 

「キモっ・・」

え?何?顔?表情?服装?歩き方?どれ?どこ?

 

正解は全てなのだが

 

一瞬、何が?どれが?となってしまい混乱する。

そして非常に言いやすく聞き取りやすい。(これ重要

 

ここに侮蔑するような嘲笑をこめれば

 

もう死んだも同然

 

怒りがこみ上げる前に圧倒的な絶望感に苛まれる。

 

そして、この「キモい」という言葉は

顔の造形以外にも適応されるのが恐ろしいところである。

 

話し方や動作、しぐさ

趣味や興味を持った対象

 

ありとあらゆるものに「キモい」は通じる

 

通じてしまうのである。

 

そして最も恐ろしいのは

 

「なんかキモい」

 

なにも特に思いつかないが、なんとなくキモい。

 

もう最強。王かよ。

 

こんなのが通用してしまえば、もう対打ちできない。

 

あと、以前に書いた「男性に聞く侮蔑フレーズ」の通り

 

どんなにいいやつだろうが、どんなに親切だろうが

 

「でも顔キモくない?」

「しゃべり方キモいよね」

 

という印象がついてしまえば

 

「いい人だけどなんかキモイ」

 

で終わりなのだ。

 

もうどうしようもない。

 

異性間なら99%その人とは付き合えないだろう。

 

私はこの「キモい」こそ日本語における唯一無二の言葉である、と考えている。

 

なので、私はこの言葉を軽々しく使うべきでないと警鐘を鳴らしたい。

 

日本語は非常に豊富である。

もっと考えたうえで侮蔑の言葉を贈るべきであると。

 

例えば

「あの人って、太ってるせいかいっつも汗かいてるよね。汗のせいで髪の毛が固まって頭皮見えてるし、清潔感にかけてる。ちょっと匂うし。少しやせるか、髪短くして制汗スプレーとか振ればいいのに。」

と相手を貶しつつも、自分が感じる不快点を列挙し、改善策を与えるべきではないだろうか。

 

それか

「彼はまるで登山道に敷かれた石のように荒れた肌をしている。その荒れた肌の上には何十年と年月を重ね、雨風にさらされた結果、もろくなった岩のようにごつごつとした鼻をしており、その隙間から漏れ出たような日差しのごとく細い目をしていた。頭皮は長い戦争があったのだろうか、燃え尽きた木々が何本か残った平原のようである。」

 

のように文学的な貶し方をしてみてはどうだろうか。

 

・・・

 

あ、そっか

 

罵倒の言葉を簡略化・進化をくりかえしていくうちに「キモイ」になったのか・・。

 

日本語の進化ってこえーな。